2011/04/15

ポータルサイトのニュース記事の危険性

Googleにせよ、Yahooにせよポータルサイトは必ずニュースコーナを設けている。
ジャンル別の様々な話題のヘッドラインを眺め、ワンクリックで記事が読める、実に便利だ。記事の量は少なければ画面半分、多くても画面1枚程度にまとめられている。(小生は解像度1280x1024です)

私はこのポータルサイトのニュース記事を読んでいて、二つの危険性に注意しなければいけないと自分勝手に思っている。

一つ、事実が誤解されやすいということ
一つ、偏向報道の助長になるということ

(1)意図の入った情報
新聞・TVよりも少ない量で見せなければならないため、各メディア記者が工夫をこらして記事を作成しているのだろう。よくまとめられるなと感心する。

インターネットは情報が多い、同種の異なる情報をつぶさにみていくには時間がかかる。多数の情報に触れる人ほど、時間が少ない人ほど、一種類あたりの情報に触れる時間が短くなってゆく。特にビジネスマンには時間は貴重である。そのような中でニュースがまとめられているというのはとてもありがたい。

しかし、最終的に私たちが目にする記事にはミスリードが生じるようなものがあり、私は狼狽し、困惑し、事実の確認に追われることがある。何の気兼ねもなく開いた記事に悩され疲れてしまう。これをそのまま誤解する人が大勢いたらどうしようかと心配になる。

なぜこのようなことになるのだろう

私は、ニュースは事実・意見・意図の3つの要素から成り立っていると考えている。
・取材で得られた事柄(事実)
・記者の意見(意見)
・記事を通して伝えたい思い(意図)

事実は記事にはっきり表れる、意見は最後の締めくくりに添えられることが多いだろう。
意図はある事柄を表す膨大な量の情報をそぎ落としていくときに働く。Web上のニュース記事は「紙面の都合で…」と、この意図が働きやすい状態の記事だと思う。意図の正体は記者が重要と考える事柄、情報の要素に優先順位をつけると優先度の高いものであり、記者やメディアの意識が反映されたものだ。

その意図をかいくぐってよまないと事実を正しく捉えられない場合があるので気を付けなければいけない。

(2)多数決による情報の選別
ランキング、ピックアップといった、大勢の人が見る記事ほど目の前にあるというシステムがある。

これは、同じ事実を伝える記事が複数ある場合に1つの記事を多数決で決めて、代表させるようなものだ。いったん多数派となるとさらに目を引くトップ位置に陣取ることができ、代表権は相乗的により強固なものになる。

これはよいことでもある、みんなが見ている記事を見るのだから、みんなが興味を持っているものが自然にわかるし、話題に遅れることもない。

しかし、よいことばかりではない。

この、みんな、とは誰だろう。みんな はどのように記事を選んでいるのだろう。無意識的に多数派による情報の選別が起こっているのだから、気を付けなければいけないと思う。

私が気にしているのは、良質の記事が必ずしも代表にならないという可能性だ。
人はショッキングなニュースを見たがる。特定のメディアの記事を好む人もいるだろう。

記事に意見や意図を入れるのはメディアとしては当然の所作だが、メディアが常に冷静で中立で良心的と限らないと私は疑っている。いわゆるメディアの(もしくはその奥の)意図が色濃く反映された偏向報道があったときに、そしてそれが代表権を得てしまったら…と危惧せずにいられない。



そう、火は便利だが、使い方を誤ると災いとなる。電気は便利だが、金がかかる、電気に囲まれた生活では停電のリスクにも備えなければならない。利便性が向上しそれが当たり前になればなるほど、デメリットにも注意すべきであろう。人類はそうしてきた。

インターネットはもう私たちの生活にはなくてはならないものだ。通信インフラはライフラインの一つ加えてもよい段階にきていると感じている。そして、インターネット社会のメリットを意識せずに享受できる環境にあるとき、デメリットについてしっかり理解して付き合う必要がある。

そして、自己責任というなのもとに情報リテラシーが問われる。
どこにリテラシーを向上させる機会があったというのか。
私たちは自衛しなければいけない、一人一人が分別よくなければいけないのだ。

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